技術経営ろぐ

大学院で学んだことを書いていきます

新技術採用から学んだ、人を動かす技術経営

東京理科大学大学院 イノベーション研究科 技術経営専攻を受験するにあたって、同大学院の伊丹教授、宮永教授の書籍「技術を武器にする経営」の内容をテーマにエッセイを提出するという課題があった。このエッセイは全ての人に課されるわけではなくて、普通の大学を卒業していない人が大学院が課す個別の入学資格審査を受ける人だけが提出しなければならない。私は高校卒業後、フリーターを経て社会人になったので、いざ大学院に進学しようと思うと普通の大卒の人たちよりも余分に試験が課されるわけなのだ。

ともあれ、このエッセイと各種書類で無事に合格することができた。高卒で東京理科大大学院でMOTを学びたいという人がいたら参考にしてください。

ところで、エッセイに出てくる魔の谷とか死の川というのは、この書籍の中でイノベーションを成就する過程で組織が乗り越えなければならないハードルのこと。興味を持った人は書籍を読んでみるといいと思います。


技術経営に関する議論は、企業が技術的な取り組みをどのように価値に繋げるか、という視点で論じられる。革新的な新技術を核に、魔の川と死の谷を乗り越え、ダーウィンの海を渡ってイノベーションが成就されるためには、技術的な取り組みだけではなく、それを推進する立場の人間が、経営的な観点で組織を動かしていくことが必要である。本書「技術を武器にする経営」では、技術経営において重要なことは、技術だけではなく、それを価値につなげていくための人と組織をどのように経営していくかということが非常に重要であるということを繰り返し述べている。

現場の技術者は、技術そのものの新規性や面白さに目を奪われて、その技術をどのように価値に変え、組織として利益をあげるための武器としていくか、という視点を忘れがちである。私は前職において、Rubyという当時はまだ広く普及していない技術の可能性に着目し、それを用いた新たなビジネスを組織として実行しようと試みた。その過程において、組織として新しい技術を採用するためには、技術者としての視点だけではなく、それを実現するための他のステークホルダーの関心ごとを理解し、動機付けと説得をしなければならないということを学んだ。

当時、私はシステム開発の生産性の向上という課題に対して、従来のアプローチの限界を感じていた。従来のシステム開発では、一度開発したシステムの枠組みはなるべく変化させず、新しい開発コンセプトや開発手法の採用には相当の技術検証と人材育成を経なければならなかった。そして、それらが実戦に投入されるころには、そのコンセプトや開発手法は既に時代遅れのものとなっており、競合他社に一歩も二歩も遅れをとってしまうことが常であった。

私がその打開策としてRubyに着目した理由は、その機能そのものではなくRubyの利用者たちのシステム開発に対する姿勢である。私からみたRubyの利用者たちは、変化に対して非常に積極的であった。新しい技術や開発手法を積極的に試し、試行錯誤の中から自らの開発スタイルを進化させていくのである。このような姿勢を自社のシステム開発に適用することができれば、自社のシステム開発スピードを劇的に改善し、より競争力の高いシステム開発を実現できると考えたのである。

まず私が取り組んだことは、この筋の良さそうな技術要素とその利用者たちについてよく知ることである。書籍などを用いて技術要素そのものへの理解を深めるとともに、休日に開催されるRubyに関する勉強会に参加して、コミュニティーに参加するRuby利用者と新しい技術をどのようにシステムに組み込むか、現場での適用にあたってどういう工夫が必要なのかといったことについて議論を重ねた。議論を重ねるにつれ、Rubyの利用者たちはただやみくもに新しい技術を採用しているのではなく、それらの技術を製品に組み込んだり、チーム内に展開したりするために、必要な準備や教育も同時にしていることがわかった。

次に取り組んだのは、Rubyを社内に紹介することである。社内で勉強会を立ち上げ、Rubyに興味をもつ技術者を集めては、コミュニティーから仕入れた新しい技術を紹介し、ときには実際にハンズオン形式で教育をおこなった。新しい技術要素を社内に展開したというわかりやすい指標を得るために、Ruby資格試験の受験を推進し、10名を超える合格者を育てることに成功した。

社内の技術者育成の成功を受け、いよいよRubyの自社のシステム開発案件での採用を上申することにした。コミュニティーへの参加を通じて、実際にRubyを活用している技術者との議論を重ねることで、この技術と新技術を積極的に取り入れていくことが自社のシステム開発を進化させるという確信を得ることができていたし、勉強会の成果をもって、新しいプロジェクトにおいてRuby技術者をどうやって教育していけばよいかというノウハウを得ていた。

しかし、技術的な可能性を実証するだけでは、他人に動いてもらうことはできない。技術者以外のステークホルダーの関心ごとを調査し説得することも必要である。これまでの取り組みでは、自らが主体となって行動し成果をあげていたが、組織的に新技術を採用するとなると自分だけで実現することはできないからである。本書にもある通り、経営とは「他人をとおして事をなす」ことである。異なる役割をもつステークホルダーには自分とは異なる関心ごとがあり、新技術の採用にかかるリスク評価の観点も異なる。そのため、技術的な観点以外からも、Rubyの採用が会社にとって利益をもたらすことを証明する必要があるのである。

実のところ、この上申は一度プロジェクトマネジャー、経営層の双方から一度却下されている。なぜならば、最初の上申では私個人の技術的な興味関心ごとに報告内容が傾倒し、ひとりよがりの提案になっていたからである。

却下という判断を受け、改めて他のステークホルダーから意見を集めて再提案を実施した。具体的には、新技術を採用するシステム開発全体に責任を負うプロジェクトマネジャーに対して、Rubyを採用する場合の従来の開発アプローチとは異なり、変化を積極的に受容しつづけるチーム体制と、新技術のキャッチアップを考慮したスケジュール案を提示し、新技術の採用によって得られるメリットとそれにかかる人的、時間的コストを明らかにした。さらに、経営層に対しては、会社として一定の経営資源Rubyに投資するという判断を得るために、投資プロジェクトの成果を他の類似プロジェクトに展開するためのプランを提示した。

かくして私の提案は採用され、パイロットプロジェクトを経て複数の案件で適用された。実施段階でいくつかの課題もでてきたが、最初の提案を却下したプロジェクトマネジャーや経営層が十分な支援をしてくれたおかげで、結果としてこれまで切り込めなかった新たな領域のシステム開発案件を成功させることができた。

プロジェクト実施段階でプロジェクトマネジャーが私に言った言葉は今でも心に残っている。「単に筋の通った提案というだけでは従来のやり方を変えてまで新しいことに取り組むことはしなかっただろう。あなたの熱意と新技術にかける情熱が最終的にわたしの心を動かしたのだ」と。

技術経営の実践は一筋縄ではいかない。現場の技術者は、技術そのものの新規性や面白さに目を奪われて、その技術をどのように価値に変え、組織として利益をあげるための武器としていくか、という視点を忘れがちである。

また、理論だけでも他人は動かない。技術的な裏付けという土台と経営視点での見通し、そして自分が信じる価値を相手に伝える情熱、すなわち「情と理」の両方があってはじめて人は動くのである。